鉢呂元経産大臣の辞任(1)、知略不足で自沈

hachiro

facebook上でのやりとりから、僕の意見は、「志は高かったのかもしれないが、知略を持たず、あっさり撃沈させられた」。「脇が甘い」、

——————発言内容は辞任に値する?

◇「死の町」発言はそんなにだめなの?

個人の尊厳を傷つけているわけでもなし、経産省・東電の罪が重いことの裏返し。伝えるために必要な表現なのかも。

◇ 「死の町」と呼ばれた街に住んでいる人、住んでいた人の心情を察すると適切ではないんじゃないかな、、事実はそうかもしれないし、東電他への責任追及として妥当な言葉であったとしても、、

 

◆paco◆ 基本的には、僕なら避けるな、やっぱり。公式の場で発言がおもてに出るようなら、使わない。

これは、僕が言葉の訓練を徹底的に受けてきたからで、いわゆる言葉狩りや揚げ足取りを避けるという意味ではなく、ね。

◇ 「死の町」とまで言われるような状況にした相手に怒るとおもうのだよね。

個人差はあるにしても、事態を起こした相手への批判よりも、一言多いことへの批判の方がクローズアップするメディアってどうなのかなとおもっていて、記事にするのであれば、事故を起こした責任の話しとセットで書く必要があるとおもうのだよね。どうかな?

また受信者の立場として、メディアとして、個人としての立場の違いはありそう。

メディアなら事故を起こした責任を追及する意味で言っているのか?という追求と、単なる失言としての追求はあるかもしれない。

◆paco◆ 広く伝わる状況の中で発する言葉は、いろいろな解釈をされることを十分考えて、誤解のしようがない言葉を選ばないといけない、と言うこと。

元大臣が何をいいたかったのか? 「死の街」という言葉でどのような理解をされるか、あらゆる可能性を考えて、自分の言いたいことが誤解なく誰にでも伝わるか? と自問すれば、僕ならNoとなる。

だったら、別の言い方をする。

それだけのことなんだよね。

——————本当の戦いの構図は?

◆paco◆ 鉢呂・元大臣。就任時から脱原発を宣言して、長くは持たないだろうと思っていたので、特に驚かない結末。原子力村の強力な逆襲の結果。これだけ露骨な「逆襲」をやる連中だ。彼らの悪質さに気付かない人が、日本人の多数派を占めている。目ざめよ、日本人。

◆paco◆ マスコミが官僚のリークをそのまま報道し、マスコミコメンテータと取り巻きがやんややんやとはやし立てれば、大臣だって内閣だって、どうにでもできると、官僚たちは思い込んでいるのです。

ここまで露骨なことをやると、いずれ、首をはねられることになるでしょう。

——————大臣の適否はどこで判断する?

◇ 私は、記者に向かって、脱いだ防護服を渡しながらの発言が、ものすごく不快だった。

◆paco◆ 快、不快という見方はそれとしてあるし、それも辞任の理由だったとは思うよ。

でも、今のタイミングで、国民が改革派の経産大臣になにをさせたいか、という「お仕事」の視点を持っていないと、仕事のできる人をやめさせることになる。

ま、結果として彼は仕事ができる人ではなかったので、今回については、結論は同じだけど。

少々品がなくても、仕事の推進力があるマネジャーに自由に活躍させるタイミングもある、と言うこと。

◆paco◆ 大臣不適格、というのは、どの点か、ということになります。

僕は、発言そのものが不適格だとは思いません。

そのぐらいの発言を切り抜けてきた大臣はいくらでもいるし、居座ったっていいのです。

不適格だというのは、このタイミングで、経産省と戦うしたたかな能力がなかった点です。

発言が不適格だというように考えると、政治家に本当の仕事をさせることはできませんよ、主権者=国民として。大臣でなければ、それなりに政治活動はちゃんとしていたようですね。

福島にも自分の足を運んで言うことは言っていたようだし、脱原発もはっきり信念は持っていたから。

◆paco◆ そんなところで適格・不適格を見るのではなく、本当に仕事ができる人だったかどうか。この場合は、官僚機構と原子力村の強力な反撃を見越して、その上を行く戦略を持っているかどうかです。

鉢呂元大臣は、経産大臣という魑魅魍魎の住む世界に入りながら、あまりにも無防備だったわけで、彼がどのような信念と行動の人であったとしても、こんな無防備さで官僚の世界を相手に戦えるわけはありません。

やむを得なかったと思います。

もっとしたたかにやれる人じゃないと、官僚機構を相手に戦うことはできないことぐらいは、僕の少ない経験からもわかります。

で、鉢呂氏は推進力のあるマネジャーでもなかったし、品もなかった、と言うことだな。

このむずかしいタイミングで経産大臣ができる器ではなかった、と言うことで。

その程度の人物には、原子力村と戦うことはできないんですよ。

——————ナイーブとマッチョ?

◇ 民主党の人たちは「脱・官僚」を愚直に実現しようとしたり グローバルな言質で「ナイーヴ」な人たちが多いような気がします。日本では”naive = pure(純朴ないい奴)”なイメージですが、欧米では”naive = immature(ケツの青い奴)”であり、既に報道する価値もない内容かも知れませんな(恥)。

◆paco◆ 僕も同じ認識です。「愚直」さはあってほしいなとは思うのですが、同時にしぶとさもないとダメですね。

ただし、愚直さをマッチョと対比させて、愚直さはダメでマッチョがいい、という見方は、逆に原発推進派を容認させてしまうことに。この点については、小田嶋隆がおもしろいコラムを書いているので、見てください。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110908/222523/

推進派の皆さんも、本当のところは、原子力が備えている「説明不能の魅力」としての「マッチョ」に魅了されているのではなかろうかと、かように推察している次第なのである。

問題は、この「原子力かっけー」「原爆つえー」「核分裂パねぇ」というこの感慨が、ハタから見て、あまりにも子供っぽく見えることだ。

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