日本の原発では人為的ミスによる事故が多数起きている。

中越地震の原発破壊_浜岡事故は防げるか

(by paco)この福島原発事故を分析する。

次の3つの切り口のうち、ここでは(3)について述べる。

(1)福島原発事故は津波が来る前に、「想定内」の地震によって始まっていた。

(2)福島原発事故は「想定すべき規模」の津波に備えずに、悪化した。

(3)日本では人為的ミスによる事故が多数起きている。

原発は何重にも安全装置があるがゆえに、安全だと主張されているが、この説明が間違っており、安全装置自体が脆弱であって、常に事故と隣り合わせだということを説明したい。これまで日本では原発を始め、原子力関係の事故が多数起きている。その多くは一般の人が知るような状況になることはなく、それ故に「原発は事故を起こさない」ということが常識であるかのようになってきた。しかし実際には全国の原発関連施設で多くの事故がくり返しており、中でも人間のミスによって重大な事故が引き起こされている。人間が扱うものである以上、ミスは避けられず、それが大事故寸前まで進んだことが、過去もたくさんあったのだ。

いわゆる、「ヒヤリ・ハット」(事故には至らずに、ヒヤリとしたり、ハっとした事態から、安全への手段を講じようという方法)だが、重大なのは、原発事故がたいていの場合、ひっそりと報じられ、実態より過小評価されるために、「ヒヤリ・ハット」の結果が充分にその後の施設の安全に反映されにくいことだ。それによって事故が繰り返されることになる。

原発は安全だという「神話」をつくってしまったがゆえに、危険性がオープンになることを許さない体制ができてしまった。それによって課題がうちがにこもり、さらに危険がますという状況ができている。

では具体的に事故の状況を見ていこう。

■原発は人為的ミスの危険にさらされている

原発の運転が始まって数年後の1978年11月2日、今回大事故を起こした「東京電力福島第一原子力発電所3号機」で重大事故が起きていた。日本で最初の臨界事故とされる。

メンテナンスで停止後、冷却中に事故が起きている。操作員が戻り弁の操作をミスして弁を閉じてしまったことが事故の始まりだった。内部はいったん核分裂反応が止まったものの、また崩壊熱を大量に出し続けており、冷却中だった。その冷却水を循環させる弁がミスによって閉じられたために、内部の圧力が上がり、挿入済みだった制御棒のうち、5本が抜け落ちて、核反応が再開してしまう、臨界事故になった。この事故は、7時間半続き、その後、ミスに気づいた操作員が復旧作業を行って、今回のような炉心溶融には至らなかったが、一時は「暴走」の状態だった。

日本の初期の原発でよく見られる沸騰水型原発は、制御棒を下から上に向けて挿入する構造になっており、故障やミスが起こると、制御棒が下に抜け落ちる構造になっている。この構造上の欠陥は、初期から繰り返し指摘されている。のちに「加圧水型」の登場で、制御棒が上から下に挿入されるようになり、改善されたが、今も沸騰水型は多数使われている。

この事故の原因は操作員の人為的ミスだったが、工場などに関わったことがある人ならすぐにわかるとおり、事故はすぐに公開して、ミスの発生原因を周知させ、未然に防ぐ必要がある。特に原発のような大規模プラントや公共性の高いプラントはなおさらだ。

しかし東京電力はこの事故を公表せず、そのことによって、同様の事故が繰り返されることになった。他の原発を含めて少なくとも6件がわかっており、1991年5月31日の中部電力浜岡3号機の制御棒が同様に3本抜けた事故なども起きている。

中部電力は、この事故後も、公表はしなかった。他の電力会社には通報したと主張しているが、安全神話を守るために公表しなかったと言うべきだろう。

東京電力はこれ以前にも事故隠しを続けていて、2003年には多数の事故を隠していたとして、社会問題になっている。この事故隠しの発覚も、内部通報だったが、通報がなければ隠し続けたはずだ。この事故隠しの結果、東京電力は全原発を止めて点検する事態になり、2003年春から7月までは、すべての原発が止まっていた。
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しかし、上記の1978年の制御棒抜け事故(人為的ミスが原因)はこのときも発覚せず、結局は29年間も隠され、2007年3月22日に発覚、東京電力はようやく公表においこまれた。東京電力は「当時は報告義務がなかった」と主張している。
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■重要な箇所が点検リストに組み込まれずに、死亡事故が発生している

2004年8月9日、営業運転中の関西電力・美浜原発3号機(福井県)の2次系配管大きな破裂を起こし、大量の上記と熱水が噴出した。事故の箇所はタービンを回すのに使った2次冷却水を蒸気発生器に戻す復水管で、付近の2次冷却水は約140度、10気圧。破裂により高温の蒸気と熱水が噴出し、定期検査の準備作業をしていた下請け企業の作業員11人が事故に巻き込まれ、5人が全身やけどで死亡、6人が重傷を負う事故となった。

この配管は、発電を行う主配管で、直径56センチ。破裂によって幅57センチもめくれて穴があいた。この破裂箇所は、1990年に定められた「2次系配管肉厚の管理指針」によって点検対象となるべきであったが、運転開始以来27年以上、検査をしていなかった。

この直径56センチの太い蒸気配管は、当初の管の厚みが10ミリだったが、長年の蒸気によって配管の鋼鉄の肉厚が薄くなり、配管の交換が必要とされる 4.7ミリを大きく下回り、最小で0.4ミリまで薄くなっていた。摩耗によって薄くなった箇所が、圧力に耐えきれずに破裂した事故だった。

事故後、同タイプの加圧水型原発の一斉点検が行われ、未点検箇所が高浜1、3、4号と大飯3、4号を含めて、計17か所見つかった。このとき見つかった摩耗では、もっとも薄いところで当初の10ミリから1.8ミリまで減肉が進んでいた。もう少し点検時期が遅れれば、同様の大事故が起きていただろう。(Click!)この自体をさして、「他の原発は事故に至る前に防げたのだから、安全対策は万全だ」と主張しているが、実際には死亡事故が起きてから、他の原発の点検をしているのだから、万全といえるわけがない。しかも、この点検箇所は、本来点検が必要な箇所がミスで漏れていたのだ。

■設計時点から、人為的な「ミス」が行われていた

上記の例は稼働中の原発の事故だが、そもそも設計時点から、科学的視点を最優先してつくられているとは言えない証言がある。

東芝の子会社である「日本原子力事業」の技術者だった谷口雅春さんは30年以上も昔、浜岡原子力発電所2号機の設計に携わっていた。数十人の設計者のうち代表3人だけで開かれた会議に谷口さんも出席していた。

その会議の場で、設計段階での計算によると、地震が来ると2号機は強度がもたないことが報告された。理由は岩盤だった。浜岡あたりでは200年周期でマグニチュード8クラスの大地震(東海地震)が起きているため、岩盤が極めて脆かったのだ。そのままでは建設はできない、明らかに強度不足の数値だった。

この報告を受けて会議では、工事を中止するのではなく、強度が十分あるように見せる偽装が提案され、了承されてしまった。設計に使ういくつかの数字が、本来使うべきではない別のものに差し替えられ、地震に耐える強度があるかのように偽装されて、国に報告されることになった。

明らかに設計技術者の良心に反する行為だと確信した谷口さんは、直後に辞表を提出、退職したが、谷口さんの疑義は届くことなく、浜岡2号機はその偽装データをもとに建設されてしまったのだ。

浜岡原発は、福島第一原発の事故後、菅首相の強い要請によって、運転が停止されたままで、この2号機も止まっている。東海地震の震源域の上に立っている浜岡原発は、日本でもっとも危険な原発と言われてきた。その理由のひとつが、上記のように、設計の偽装だ。多くの原発で、想定している地震や津波の規模自体が「甘い」可能性があるのに、その甘い想定の地震にさえ耐えないような設計になっている原発があるのが、日本の原発の実情だ。

この浜岡原発は、実は例外ではない。そもそも日本への原発の導入は、米国の原発メーカーからの輸入として行われてきた。そのため日本のエンジニアが設計について徹底議論をする姿勢がなかった、と、原発の問題に早くから取り組んできた高木任三郎さんは指摘している。

「たとえば、原子炉事政というと、炉心が冷却に失敗して過熱して熔け崩れるメルトダウン(炉心熔融)を誰しも考えます。しかし、そういうことについて、会社の中で公式に議論した経験は、少なくとも私は一度もありません。そのこと自体、恐ろしい話ですけれども、ある種のタブーになっていたのでしょう。そういう意味ではまったく議論なしです。議論がないのですから、お互いにやっていることについても批判はありません。」(「原発事故はなぜくり返されるのか」p.34)

高木仁三郎さんは1961年東京大学理学部を卒業したのち、日本の原子力業界の黎明期に原子力の研究に関わり、のちに、その危険を憂慮するようになって、1975年に原子力資料情報室の設立に参加、代表を務めた人物で、日本の原発懐疑運動の戦闘を歩いてきた人物だ。

■人為的ミスや間違った判断は避けられない

wikipediaには「原発力事故」「臨界事故」というページがある。

ここには上記以外のたくさんの原子力関連の事故があり、その多くが人為的なミスによるものだ。

人間はミスをする生き物だ。だからこそ、技術は、ミスがあっても事故に至らないように、さまざまな安全策を用意して、事故を防ぐ。福島事故までは、なんとかそれが機能して、本当の最悪の事故にまでは至らずに済んできた。

しかし実際には、国や電力会社のいう「安全」とはほど遠い状況であったわけで、外部に放射のが漏れた事故や、臨界事故を含め、大事故が多数起きてきた。その最たるものが、上記の福島原発の長時間臨界事故であり、1999年3月に茨城県東海村のJCOでおきた臨界事故だ(この事故は、原発の事故ではなく、原理力関係の実験用の燃料を製造中に、本来の手順と違う作業をして、起きた)。
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原子力の事故は一度起きると重大な事故になりかねず、化学や金属など、他のプラントの事故とは結果がまったく異なる。人間は原子力を安全に使いこなすことは、非常に困難であり、にもかかわらず、国と電力会社は、安全でないものを安全だと言い続ける「安全神話」を垂れ流してきた。ミスによって引き起こされるものの重大さを考えると、原発を使い続けることは危険が大きすぎると考えるべきだ。

※原子力事故の結果(主に放射能汚染)を重大とみるか、小さいとみるかで、実は、原発事故の重大性の判断が異なる。どのように判断するべきかは、別項で検討する。