(by paco)エナジーシフトを実現するには、政治シフトが必要だ。
福島原発事故以後、エナジーシフトを考えると、単にエネルギー利用を変えればいいというものではないことに気付く。
■原子力村は55年体制の国会運営から生まれた
これまでエネルギーについて決めていたのは、電力村、原子力村と呼ばれる経産省と電力会社の複合体だった。この体制が始まったのは、実質的には1970年代だと思われるが、その根は「55年体制」(1955年に保守合同で自由民主党が誕生した)と呼ばれる、自民党一党支配の政治にある。
55年体制では、自民党が衆議院と参議院の両方で多数派を占めることが多かった。しかしその一方で、自民党内部は政策中心に集まった一枚岩の政党ではなかった。自民党は1955年に自由党と民主党(旧)が合併して誕生した経緯もあり、またそれ以前に、日本の戦後の政治体制になってから、新たに政治家になった議員が多かったため、意見がばらばらになりがちだった。また選挙制度から来る性質もあった。当時の日本の選挙は中選挙区制で個人に対して投票する方法だった。議員は有権者が「自民党の私」にではなく、どちらかというと「私個人に投票した」と理解しがちだったために、政党の理念(政策)より、自分の主張(有権者が支持した主張)を優先する傾向があった。そのため、自民党政治(55年体制)では、自民党の内閣(総理大臣)の意向には必ずしも従わず、自分の主張を優先する傾向が強かった。自民党の議員であっても、自民党によって当選したと言うよりは、自分の力と自分の選挙区の有権者によって当選したという意識だったのだ。
このような状況の中では、内閣が政策(法律)を国会に提出しても、必ずしも可決されると期待することができなかった。議員は総理大臣(自民党党首)の意向より、各自の考えを優先できたからだ。
そこで内閣は、国会に法案を提出する前に、与党(自民党)の議員の代表と話し合うという方法を考え出した。これを事前協議という。55年体制では自民党の一党支配だったために、逆に自民党内部の承認手続きが肥大化し、それに反比例して国会の役割は縮小し、国会審議は形骸化していった。国会は議決のみを行う儀式的な機関に変容してしまったのだ(本来、憲法では国権の最高機関と位置づけられているにもかかわらず)。
事前協議の舞台になったのは、自民党の「政策調査会○○部会」である。「○○」には、基本的に国会の委員会名が入り、実質的には縦割りの省庁に対応している。エネルギー関係は経産部会が担当することになる。自民党を含めて、各政党の国会議員は、いずれかの委員会に所属している。経済産業委員会に属する自民党の議員を「経産族」と呼び、同時に「自民党政策調査会経産部会」のメンバーになる。
自民党(与党)「経産部会」と、経産省の官僚が事前協議を行い、政策を合意すれば、それが法案になり、内閣に回されて、閣議決定され、国会での委員会可決、本会議可決に進む。日本の国会では委員会で可決された法案を本会議で否決することは国会運用上行われない。結局は、委員会の議員=族議員が、官僚との間で合意した内容が法律・政策になる仕組みが確立した。これが55年体制の本質だ。
この一連の経緯を、再度よく見てほしい。この中に、実は内閣総理大臣も、経産大臣もいない。実は、日本の政策決定においては、大臣がリーダーシップを発揮する余地があまりない。少なくとも、大臣のリーダーシップがなくても、多くの政策が決められる。族議員と官僚との間で。
■官僚が政治家(議員)を凌駕する
では族議員と官僚はどちらが強いのか、実質的に決定権を握っているのはどちらか。
答えは、官僚だ。その理由は、官僚のほうが情報量が多いことにある。族議員といっても、議員は選挙のたびに当落があり、専門性が育ちにくいのに対して、官僚はずっと同じ省で仕事をしていく。調査力、立案力もあることから、官僚が政策を起案し、それを部会にかけて与党議員から承認を得るプロセスでは、官僚が主導権を握る結果になるのだ。
さらに、官僚には「審議会」という強力な武器がある。審議会は、官僚が政策を立案するにあたって、広く専門家や市民を集めて意見を集める会議で、電力やエネルギー、産業政策など、いくつもの審議会が常会として設置されている。さらにテーマに合わせて審議会をつくり、意見をきくこともできる。審議会のメンバーは実質的に官僚が自由に選ぶことができる。原発を推進しようとすれば、原発についての審議会をつくり、原発推進の立場の学者や市民、産業の代表を集めて議論し、結論を出せば、「原発を推進すべし」という官僚の主張に強力なお墨付きを与えることができる。実質は官僚が自分で「推進」を決め、それを支持する審議会を自らつくって結論を出しているだけでも、形式的には国民の中から専門家(御用学者)を選んで意見を聞いたことになり、これが族議員に対する説得力になるのだ。
※なお、「審議会」は、法的な権限は小さいとされているが、実質的には今も非常に強い決定影響力を持っている。
ここまで見てきたとおり、日本の政策はこれまで、与党の中の族議員の考えと、官僚の考えで決まってきており、特に官僚が強いことがわかる。族議員が官僚の主張を抑えるためには相当のパワーが必要になり、そのような人が不在の時や、別のことに関心があるタイミングでは、官僚はフリーハンドで政策を決めることができるといってもいいほどなのだ。
経産省の官僚が電力会社の利害と結びつき、電力政策を決めてきた。この結果が強力な原発推進であり、地域独占の電力会社であり、電力会社が無条件に利益を上げ、さまざまな不要のコストを生み出し、そのコストで官僚からの天下りを受け入れるという、相互依存の強力な体制がつくられた。これが電力村、原子力村と呼ばれる権力と富のやりとりのしくみだ。原発は1基数千億円という巨額のプラントであり、原発の立地のためにさまざまな法律によって予算がつけられ、地域などに配分されている。この配分を自由に采配できることこそ、電力村・原子力村の強力な権力構造なのだ。
原発を廃止すれば、この権力と富の独占の構図が崩壊する。それに伴って、カネの切れ目は縁の切れ目と、多くお人が去って行き、頂点に君臨していた官僚はどん底に落ちることになる。頂点からどん底に落ちることは、人間は絶対に避けたい。それが、今国の中枢でおきている原発維持、推進の強力な運動なのだ。その文脈の中に、放射能被害を小さく見積もったり、「冷温停止」という言葉を壊れた原発に使ってごまかすと言った嘘が塗り重ねられている。
■エナジーシフトと政治シフトは一体で進める必要がある
このような事実を見てくると、エナジーシフトを実現することは、この日本では、政治的に強大な権力機構を破壊しようとしていることだということがわかるだろう。
もっとも、可能性としては、電力村の人々が一気に方向転換して、原発の変わりに風力発電や太陽光発電を推進することもありうる。そうなると、政治的な転換は起こらずにエナジーシフトが起こる。とはいえ、原発のように利権にまみれた風車が大量にできることは、悪夢だ。再生可能エネルギーは分散型なので、生活に身近なところにもつくれる。住宅密集地に近いところに大資本が大量の風車をつくり、その利権を分けあうことになれば、市民の生活は低周波騒音や振動で脅かされることになる。
エナジーシフトを歓迎すべきことにするためには、単に再エネが増えればいいわけではなく、市民が自らの手でエネルギーインフラを運用し、エネルギーの自治や民主的な選択ができるようにならないと、原発はなくなっても、風車によって苦しめられることになるだろう。
つまり、エナジーシフトと政治シフトは絶対不可分の変革であり、政治シフトこそ、エナジーシフトの本質だといえる。