【エネこみ】ミーティング03 「誰が議論に参画すべきか?」

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2012年3月21日(水)に、【エネこみ】リアルミーティング03を開いた。

議論の焦点は、「■誰がどのように議論すれば、合意形成なのか?」。詳細は後ほど詳しく書く。

【エネこみ】リアルミーティングの目的についてはこちらを参照。
2012年2月の【エネこみ】02 の音声については、こちら

 

【エネこみ】03ミーティングの音声 前半(85MB)

【エネこみ】03 ミーティングの音声 後半(60MB)

※右クリック→保存でダウンロードできます。

 

前回「02」よりは人数は少なかったものの、逆に濃いメンバーが集まり、深い議論ができたことに、満足している。

今回は、02の総論を受けて、議論するための枠組みについて検討した。

まず、全体像の確認。【エネこみ】サイトの「厳選」記事で取り上げたイシューについて、不足がないか検討した。全体像を見誤っていると、以後の議論に不足がでる。メンバーから「核融合実現の可能性を考慮しなくていいのか?」という意見がでた。確かに核融合が実用化できれば、クリーンで無限のエネルギーを確保できる可能性はある。しかし、メンバー検討した結果、核融合の実用化のめどはまだまったくたっておらず、ポテンシャルを検討する段階にはなっていない、ということで一致した。この結果、「厳選」記事の範囲内で議論すれば、全体像は理解できるということで合意できた。

次に誰が議論に参加すべきか、という点について、議論した。

■誰がどのように議論すれば、合意形成なのか?

合意形成が必要といっても、日本国民全員が議論して決めることは、物理的に不可能だし、全員に議論を強制することも不可能だ。選抜されたひとによる議論によって決めることになる。

では、どのようなひとがどのような方法で選抜され、どのように議論すればよいのだろうか。

福島原発事故のあと、もっともは役立つ原発の方針を決めた(以前決まっていた方針を再確認、強化した)ドイツ。そのドイツの方法はどのようなものだったのか。

その議論を担ったのは、「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」だった。詳細は報告書を見てもらうとして、議論の構造をどうつくったのかについて、【エネこみ】03で議論した。

ドイツのエネルギー転換__未来のための共同事業
提出:安全なエネルギー供給に関する倫理委員会
http://www.enecho.meti.go.jp/info/committee/kihonmondai/3rd/3-82.pdf

その結果わかってきたのは、

(1)議論は、連邦首相アンゲラ・メルケルによる委託により2011 年4 月4 日から5 月28 日まで行われ、「脱原発」の結論を出して、終了した。

(2)議論を行ったのは、原発の専門家は除く、エネルギーの技術やビジネスに直接関与しない17名。数名を除いて、Dr.の称号を持つが、必ずしも大学の研究者ではない。

(3)技術優先でも、経済優先でもなく、それらをすべて含んだ社会として何を選ぶべきかという観点で議論した。ゆえに、「倫理委員会」と名付けられた。

(4)議論するのはいわゆる専門家ではないが、専門知識は必要。そのため、委員の招きによって、原発の専門家、自然エネルギーの専門家などが呼ばれ、委員に情報をインプットした。

というフレームだ。

スタートはメルケル首相の諮問だ。メルケルが、国の方向を決める際に、彼女個人が決めるのではなく、議論するにふさわしいメンバーを集めて議論し、その結論を尊重しようと考えた。議論の場はメルケルもオブザーブしていた。

まずここで、メルケルが首相という立場にありながら、自分と自分の政権党が行う意思決定を、この倫理委員会にゆだねる、と決めたことに注目したい。

メルケル自身は、もともと保守派であり、原発推進の立場だった。ゆえに、彼女が政権を取ってからは、前政権が決めた脱原発の方針を緩和し、原発の使用期限を延長した。しかし福島事故を見て、考えを変える。彼女自身が原発を危険と考えるようになっただけでなく、広く国民は原発推進を認めず、原発を推進すれば、つぎの選挙で大敗するだろうと考えた。

メルケルの原発についての認識の変化については、以下を参照。

メルケルの腹はおおむね決まっていたとはいえ、彼女ひとりが決めて推進すれば、民主的ではない。また、原発推進だった彼女の部下、与党議員、支持者は納得せず、政権基盤も揺らいでしまう。

そのため、彼女は別に議論する委員会をつくり、その議論の結論を尊重するという方法をとった。この方法は日本でも「諮問委員会」「審議会」という名前で、多くの領域で行われている。よく似たものでは、小泉政権時代に経済問題について盛んに提言を行った首相のブレイン集団「経済財政諮問会議」が上げられる。

メルケルの「倫理委員会」と、小泉の「経済財政諮問会議」を比べると、欧州流の政治の考え方が見えてくる。

「経済財政諮問会議」では、小泉が目指したい方向の志向・思想を持ったメンバーが集められ、小泉が望む結論を出すべく議論が進められた。郵政改革もここから提言されて、実行された。メルケルの「倫理委員会」では、メルケルの「脱原発」の腹はおおむね決まっていたと思われるものの、特定の結論をめざしてメンバーが集められたわけではない。少なくとも、そのような出来レースを前提としてつくられた委員会ではなかった。

この違いは、必ずしも、メルケルが「中立を重視する姿勢」からではない。闘うべき相手が違っていたことが大きいのだが、それについては長くなるので書かない。

しかし、メルケルが中立な倫理委員会をつくった背景には、結論が最初から透けて見えるような人選では、国民も政治家も経済界も納得しない、という認識はあったと思われる。「利害を離れて、良心を背景にドイツ国民が話し合えば、このような結論になる」という議論と結論を求めていたはずだ。そうでなければ、この局面で出た結論を、メルケルが採用しても、メルケルは信頼されなかっただろう。

メルケルは、自分の支持母体である保守層、産業界からの、「原発推進」をはねのける説得力が必要だった。一方、このままでは自分を徹底攻撃するであろう、緑の党や広く一般市民(←脱原発が主流)からの攻撃は避けられず、納得させるだけの充分な結論が必要だった。

民主主義の元での政治家は、全知全能である必要はない。原発やエネルギーもんだいについて、自分がすべてを熟知して、結論を出す能力は不要だ。必要なのは、どのような議論の結果なら、民主的な結論、合意のとれた結論と理解されるのか、という議論のわく組のつくり方だろう。

その点、小泉首相は一定のセンスがあったと言ってよい。ただ、結論に至る議論があまりに強引で、稚拙だった。つまり、中立を演出することもできなかった。

メルケルがとった方法は、経済や技術から議論するのではなく、良心に従って議論する、という方法だ。これを「倫理的」という。

報告書の中で、

「安全なエネルギー供給を考えていくことは、社会発展の基本的な問いと結びついている。人間は技術的に可能なことを何でもやってよいわけではない[だから、倫理的判断が必要‐訳注]、という基本命題は、原子力エネルギーを評価する場合にも考慮されなければならない。(p.15)」

という記述がある。

「できることはなんでもやっていいわけではない」

技術は、実は自由を表している。技術的にできることは、自由にやってもいいという考え方を否定しているのだ。この何気ない記述こそ、「倫理が技術を」、「倫理が自由を」律するという基本的な思想を表している。

厳密にいうと、倫理が自由を律するのではなく、倫理的であるときにのみ人間は自由になる、という、カント以来のドイツ観念論の思想体系だ。

さすがドイツと言わざるを得ない。こういう、技術に対する倫理の優位を、ドイツ人は、国民として共有しているのだろう。ここには疑いを持たないのだろう。だからこそ、倫理委員会が、技術的に可能なこと(原発)を倫理的判断で、止めることができると考えるのだ。

日本では、このような思想的バックボーンがない。よって、技術的に可能だということ(やれるものはやってもいいという自由)を、倫理が止められるとは考えない。そこで、原発は経済化、危険か、という観点からしか議論できなくなる。

実は日本には、倫理の余地は小さく、道徳が支配している。道徳は、日常の行動を支配するルール群だ。人に会ったらあいさつをしなさい、時間は守りなさい、困っている人を助けなさい。これらは道徳だ。社会を円滑に維持するためにやった方がいい、やるべきことだと要請されているルール(マナー)群だ。倫理は、ひととしてやるべき必然性があるかどうかを考える。便宜的・功利的に、いいことがあるからやるべきと考えるのではなく、人間なら誰でもいつでもやるべきだという、普遍性と無条件さが倫理の条件だ。(→Click!

このあたりの違いは、カントの著作を読まなくても、サンデル教授の「白熱教室」が教えてくれる。

さて、ドイツの「倫理委員会」。

観念論の精神的な支柱がドイツ国民にシェアされているから、「倫理委員会」の結論も、広く国民の支持を得られるだろうとメルケルは考え、委員会をつくり、議論の結果を尊重することにした。

このように考えると、「倫理委員会」のメンバーに、原発などの専門家が入らなかった理由がわかってくる。専門家が利害を元に議論をするのではなく、利害なしに、原発を判断できるメンバーが議論することが重要だった。

ただし、誰でもいいわけではない。

・深く議論をしっかりできること。
・事前に自分の考えは持っていても、議論の過程で、別の結論を受け入れることもできる柔軟性を持っていること。
・結論が望む方向に行かなくても、最期まで議論を尽くすこと。
・科学的、技術的、経済的な要素を含む高度な問題について的確に判断する知的能力があること。
・社会のさまざまな構成員、特に未来の人々も含めた構成員がどのように考えるかをシミュレートし、特定の人が著しく不利にならないように想像力を巡らせる力があること。
・適切な議論の結果、出た結論は、受け入れ、支持・尊重することができること(コミットメント)。

こういった条件を満たすことが必要だと思われる。これが上記の「倫理委員会」報告書に記載された委員の要件だと考えている。

逆に、この条件を満たせば、他のメンバーで議論をしても、ほぼ同じ結論が出るはずだ、と考えているのだろう。観念論の立場とは、人間の理性の共通性を信頼する立場なので、良心に照らして正しく議論すれば、同じ思考をたどり、同じ結論に至る、という、理性の共通性を信頼しているのだ(この点についても、ドイツ人と日本人はかなり理解が異なる)。

3月に行った【エネこみ】リアルミーティング03での議論の核心部分は、このようなことだ。構造をつかんだ上で、ミーティングの音声を聞いてもらえると、さらに理解が深まると思う。

4月19日(木)に、【エネこみ】04を、5月31日(木)に、【エネこみ】05開く。

ここまでの議論は共有した上で、ここまでの内容を確認する議論から始めようと思う。ぜひ参加してほしい。(→Click!