日本の秀才達のリスク意識の低さが、被曝を招いた

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福島県庁への取材で、驚くべき事実がまた明らかになった。

県庁職員といえば、地域では秀才中の秀才。その彼らの、危機意識の不足、判断力の不足、そしてものごとの優先順位をつけられない思考法。烏賀陽 弘道のレポートを読んでみてほしい。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35024

 

「そうです。『(放射性物質は)出て、すーっと消えた』という想定になっていました」

「起きた今となっては『言われてみれば、(消えるわけはない)その通りでした』としか言いようがないのですが・・・」

驚くべき発言だ。県庁の原子力関係の部署の職員が、この認識。原爆投下を受けた日本人であれば、広島/長崎の放射能がどれだけの被害をもたらしたか、それが持続的に被害をもたらしたことを知らないはずはないし、少なくとも、知る機会はいくらでもある。にもかかわらず、国や電力会社に「すーっと消える」と説明されて納得してしまうとは。子どもが騙されるように、判断もしないで信じ込まされてしまう。秀才で、勉強もできて、分別もあるはずのオトナが。

「放射性物質は何が出るのですか?」「どのぐらいで、どのように無害化するのですか?」と聞きさえすれば、セシウムやストロンチウムやプルトニウムが長期間残存することぐらいすぐにわかる。そんな質問すらしない。ということだ。脱原発論者の本やサイトに行けば、事故の時に何が起こるのかを正確に書いた本はいくらでもあったのに、その1冊も読もうとしない。自分で情報を集めようとしない。判断しようとしない。これが日本の秀才の頭脳のあり方なのだ。勉強なんかやめちまえ!!

 

つまり、4号機の燃料棒プールの危機にかかりっきりになり、住民避難は後回しになったということですか?

「20キロ圏内の住民はもうすでに避難させていたのです。こちらの認識では、そういうことになっていた。もうSPEEDIの話は飛び越えていた」

要するに、最悪の放射能雲が流れた3月15日は、県も国も住民避難のことはノーマークだったということである。

 

最悪の爆発があった15日、住民の安全よりも、4号機の情報収集に明け暮れていた、という。10人のスタッフ全員が。情報収集は住民の安全のためであるべきなのに、安全を判断することより、情報収集に明け暮れ、避難民が二重被爆してしまった。誰のために、なんのために仕事をしているか、目的が見失われて、目の前の仕事を回すことだけに精一杯になってしまっている。

この日、SPEEDIの情報が県庁に届いていたことが明らかになった。飯館村や中通りも危険だとはっきり書いてあった。しかしそれを職員の誰も、見ようともしなかった。情報収集に集中していたという。最も重要な情報を見もしないで。

なんのためにやるのか。それが自分たちの最も大切な仕事なのか。仕事は常にそう自問し続けてやるものだ。そんな基本的な意識が、日本の秀才達にはない。

秀才が、仕事に対する本質的な考え方が身についていない。組織も、それを重視しない。これが日本の悲劇であり、事故の最も重要な原因だ。

この構造は県庁の秀才ばかりなく、中央官庁の秀才達にも共通する。そして東京電力や、もしかしたらあなたにも。自分の頭で考え、判断できてこそ、秀才の意味がある。